2017年9月8日金曜日

自分で考え自分で決める。


過去記事に何度か少し毒のある母親に育てられたことを書きました。

自分の解毒も兼ね、何回かに分けてもう少し深く、過去について振り返りながら考えてみたいと思います。


自分で決められなかったこと


小学生のときのスポーツ


小学生のころは走るのが得意だったので、小学4年生のときに「陸上部に入りたい。」と言ったのに、なぜか水泳部に入っていました。

学校のプールは寒く、泳ぎの練習というより寒さに耐える練習といった感じ。

徐々に行かなくなりました。


最近、「なんであのとき陸上部はダメだったの?」と母に聞いたら「覚えてない。」と。

はぁぁぁ?

です。


高校選び


これは妹の話。

第一希望の公立高校がJRで通うところでした。

学力もOK。

それを母は、「電車通学は不良になるから駄目。」だと。


仕方なく近くの商業高校へ。

正直に「経済的に難しいから、自転車で通学できる範囲の高校から選んで。」と言うべきでした。



高校の部活


「ハンド部に入るから。」と言ったら、母が、「それだけはお願いだからやめてちょうだい。不良になるから。」って。

ここでも不良ですか?

です。

どれだけ子ども達を信じていないのでしょうか・・・


いわゆる「いい子」だった私は、母の言うことを聞いて他の運動部に入りましたが、2年生の途中でやめました。


短大に行けない


これは妹の話。

「短大に行きたい。」と言ったら、「あなたはただ女子大生に憧れているだけでしょ?」と母。

これについても、最近、母に「なんで正直に経済的に無理って言わなかったの?」と聞いたら、「言わなくてもわかっていると思ったから」って 汗。

奨学金を借りる方法など調べようともしなかった母。


でも、よく考えるとお金がないわけではなかったのかもしれません。

当時、母は振袖とか着物を京都出身の着物の販売をしている友人から何枚も買っていました。


我が家の箪笥にも沢山眠っていますから


妹は、短大の件で一生恨み続けるでしょう。

特に「女子大生に憧れているだけだから・・・」と言われたことは忘れられないようです。


そして、この件が妹自身の子育てに大きく影響することになります。

ただ、この問題の本質がわかっていなかった妹は、母とは違ったミスをすることになるのですが、それは別記事で。

自分で考えられなくなる


宿題の絵


小学生のとき、自宅で描く宿題の絵は、母に手直しされていました。

どんな風に直されるかわかってきたので、あるとき母の好む色使いで描きました。

ところが「どうしてこんな色にしたの?」と言われ驚いたのを覚えています。

母ならどう描くか?だけを考えて描いていたのに、です。


宿題の感想文


絵と同じで母の手直しが入りました。

しかもあまり上手くない(笑)

今、文集を読み返すと酷いです。

あらすじや出来事だけで、感想が何も書かれていませんから・・・



質問の答えは母がする


小さいころ、私が誰かに質問されると母が答えていました。

こういうことが続くと、自分で何も考えない人間ができあがります。


まとめ


私が母から解放されたのは、結婚して家を出てからです。

それまでも母の毒は感じていましたが、子育てを始めてようやく、それまで生きにくかった部分の原因が「それ」だったとわかるようになりました。

自分で考え決断できたものは、失敗しても後悔しないものです。

人に敷かれたレールで脱線すると、レールを敷いた人のせいにするようになります。


母のような子育てはダメ見本。

失敗を恐れて先回りし過保護で過干渉だった母。

そういう風に育てられた結果、自分の意見がない子どもになっていきました。


今、ようやくその毒が薄まり始めています。


自分の子育ては、母を反面教師にして、毒を受けたことをプラスにしていけたらいいなぁ~

と思っています。


自分で考え自分で決める。

それは放任するということではありません。

子ども達が何か決める場面になったときは、知っている情報や知識、これまでの経験談は全て伝えるけど、最後は自分で決断できるように持っていく。


失敗したら修正すればいいし、助けてあげればいいのですから。


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