2017年6月30日金曜日

豊田議員を見て思い出したスポーツ少年団の指導者。


豊田議員のニュースを見ていて思い出したのが、長男が所属していたミニバスの指導者。


試合や練習で子ども達が思い通り動かないと、殴ったり叩いたりしていました。

そして、子ども達は萎縮して失敗し、また怒鳴られるという悪循環。


試合を見ていても、子ども達は操り人形のように見えました。


自分の子が体罰を受けたわけではないのですが、指導者に対して何も言えなかったを後悔しています。




豊田議員に暴言を吐かれても抵抗しない秘書の方を見て、何でやられっぱなしなのかなぁ?

と思っていましたが、自分もそうだったのです。



ミニバスの活動日は、小学校の体育館を借りていました。

保護者が当番制で体育館の鍵の開閉と練習を見守ります。


そのとき、特にコーチの体罰が酷くて、大した理由でないのに殴ったり蹴ったり・・・


初めてそれを見たとき、こちらも驚いてしまって何も言えませんでした。

後から被害を受けた子のお母さんに伝えたけど、

「仕方ないよ・・・うちの子は小学校低学年のとき、監督にもよく殴られて飛んでしまうくらいだったんだよ。最近、監督はそこまで酷くなくなったけどね。」

と言うだけでした。


ミニバス自体が好きで入団している子ばかりで、試合に出るために、指導者は審判ができる人にお願いしていました。

無償でやっていてくれたこともあり、指導方法に口を出しにくい状況だったのです。

その上、スポーツ少年団では、子どもの上手さと親の権力が比例するところがあります。

長男は遅く入団した上、背が低くてスタメンではなく、我が家に発言権がありませんでした。


でも、今思えばそんなことは関係なかったと思います。

体罰でよくなることなどないのですから。


次にそういう場面に出会ったら(出会わないことを祈りますが)、しっかり子ども達を守ろうと思っています。


2017年6月29日木曜日

県外一人暮らし大学生の長男が今欲しいもの。


現在、県外の大学生の長男は一人暮らしをしています。

困ったことや用事がないとLINEをしてきませんが、最近、サークルで行った先の写真などをちょくちょく送ってくるようになりました。

なかなか可愛いところもあるじゃん!

と思っていましたが、待てよ~?

こういうこと、夫にも覚えがあるなぁ・・・

富士山を見ながらドライブ

夫は、普段、自分からベラベラ話しかけてくることはありません。

が、時々まめに話しかけてくることがあります。

そういう時は、大体欲しいモノがあるとき。


今回の長男はそれに似ています。


夫にもそのことを話しました。

たぶん何か欲しいんだよって。


数日後


その話をした数日後、長男から実家の母のところにメールがあったそうです。


実家の父母はそれぞれ車を持っていますが、父が数年前に仕事を辞めたので、車は1台にしようかという話になっていました。

そして、この夏に車検がある母の車を処分しようとしていました。

その車をもらいたいというメールがあったというのです。


車が欲しい理由


通学は徒歩5分もかからないところに住んでいます。

バイトも自転車で十分な場所でしています。


車が必要なのは、サークル活動のためでした。

大学1年生のときに入ったサークルを続けていますが、キャンパス移動で違う市に引っ越し、公共の交通機関で通うと2時間弱かかる距離になってしまいました。

現在、同じ学部の先輩の車に乗せてもらい、サークルに参加しているようです。

ところが、その先輩が来年卒業してしまいます。

そこで、実家でいらなくなった車を持っていきたくなったというわけです。


親として悩む理由


金銭面


車検代は、うちで出して処分しないでもらうつもりでした。


長男は、昨年の夏休みに免許を取り、それから1ヶ月しないうちに何度か母の車を借りて、県外まで遠出していました。

だから、こちらに帰ってきたときには自由に運転させてあげたいなぁ、と思っていたのです。

そのほうが上手くなるし。

保険はどの車を運転してもいいものに入っています。


でも、今住んでいるところまで持っていくとなると、さらに駐車場代、ガソリン代、税金、冬は雪が降るからスタッドレスタイヤ代がかかります。


我が家には、もう一人大学へ行く予定の子がいるので、これ以上の出費は認められません。



長男は、維持費をバイトで稼ぐと母(ばぁば)に話したようです。


そして、一番反対するであろうお母さん(私)を説得して欲しいとも相談したようでした。



故障や事故


なんと言っても故障や事故が一番心配です。

遠方にいるのですぐに対処できません。


「もうすぐ20歳で大人なんだから大丈夫!」

と長男は母に言ったらしいのですが、

う~ん・・・

大丈夫かなぁ~?


今後


どうするかは考え中です。

それに、まだこちらに直接連絡がきていませんし。


せっかく自然の豊かな県の大学に通っているので、車があったほうがより楽しめるのではないか?

とか、

車自体のお金もかからないし、

とか、

維持費はバイトで稼ぐと言っている、

とか、

持って行かせてみて、できなければ持って帰らせてもいいかな?

とか、悩んでいます。


夫は、今のところ反対のようです。


今年の夏休みは、長男とその相談をすることになりそうです。

まだ大学生ってところが、悩む一番の理由ともいえます。

ふぅぅ~


2017年6月26日月曜日

東京日帰り。


先日、娘と東京へ行き、大学を見学してきました。

静岡から新幹線ひかりに乗れば、約1時間で東京に着きます。




昨年も同じ大学を見学しましたが、違う学科を見てみたいと言うので再び行くことにしたのです。


その前に、ランチ。

上野駅の「たいめいけん」でオムライス食べようと話していたのに、うっかり改札を出てしまいました。

「たいめいけん」へ行くために、また改札を通らなければなりません。

仕方なく、Suicaでまた入り直しました。


ところが、食べ終わって改札を出ようとすると、ピンポンと鳴ってしまうではありませんか。


こういう時、田舎者は焦ります。


Suicaが非常に便利なことだけ知っていたのに、出られなくなるとは・・・

駅員さんに事情を説明し、Suicaを渡しました。

たまたま、そのケースに入れておいた帰りの切符を見た駅員さんが、入場料?はいいにしてくれました。


昔(約30年前)の駅員さんは冷たかったけど、今は優しいんですね~


で、「たいめいけん」ですが、去年行ったのにどこにあったか思い出せず。

やっと辿り着いた「たいめいけん」は混んでいました。

それを待ったら説明会の時間に間に合わなくなるので、ラーメンに変更。

そのため逆に早く大学に着いてしまいました。

受付をするまで長く待った上、人混みで暑かったので、飲み物を持って行かなかったことを後悔。

しかも、やっと始まった説明会は、少しぐらい遅れても全く問題ないものだったのです。

こんなことなら「たいめいけん」でオムライスを食べても大丈夫だったね・・・と娘と悔やんだのでした。




大学を出てから娘が行きかった東京にしかない店を探し、スマホ片手に歩き回ったけど見つからず。

「もう諦めようか?」

と私が言ったら、

「次は一人で来て探すからいいよ。」

と言われてしまいました。


週に1日やっているテニス程度では、都会の生活に対応できないようです。

娘の足を引っ張ってしまいましたが、もう少し鍛えて疲れない体を作り、再チャレンジしたいと思います。

(もうついて来ないでと言われるかも?)


そして、事前に行きたい場所を、もう少し調べておくとスムーズかもしれません。



日頃、人口密度の低いところにいるので、私たちは人混みだけで疲れてしまいます。

それでも、その大学に受かったら行きたいようです。

受験は来年度だから気が変わるかもしれませんが。



帰りの新幹線はこだまにしてぐっすり眠って帰りました。

こだまなら、ほぼ座って帰ることができますからね。



それと、今までなんとなく入っていた新幹線のトイレですが、今回は、ちょっと気をつけて見てみました。

少し前に読んだちきりんさんという方のブログに、便座がトイレの鍵を開けると上がる、と書いてあったので確認することに。

まず、トイレに入ると便座が上がっているので便座を下げます。

そして、出るとき鍵を開けてチェックしてみると・・・

本当だ~上がっている!

これなら、便座を上げずにうっかりしてしまう男性によって便座が汚されることがありませんね~

去年、北海道新幹線のグランクラスで新函館北斗駅まで。旅行したときは気がつきませんでした。


ぼんやりしていると気がつかないことです。


東京は、静岡の田舎で暮らしている人にとっては難しかったり、刺激的だったり、便利だったりするところです。

出不精の私ですが、娘がいいと言う限りついていこうと思います。

そのためには、娘のスマホに頼ってばかりだったことを反省し、少しは役に立つ母になるようにしないと!

ですね。

2017年6月24日土曜日

小林麻央さんの力。


昨日はテニスの後、いつも通り友人と井戸端会議。

私の母が膝の手術をして入院したときに同室だった人と仲良くなり、ランチに時々行っているという話題から、友人が入院していたときの話になりました。

井戸端会議の相手は、10年前、癌の手術をした友人のこと。の記事に書いた友人。

「私が入院したときの同室の人は60代だったけど、亡くなっちゃったんだよね・・・あのとき看病していた旦那さんは元気かなぁ?」

という話から小林麻央さんの話になりました。

「私の卵巣がんは質の悪いやつで、たまたまその数年前にそれに効く抗がん剤が開発されたんだ。抗がん剤をやる前に吐き気止めを処方されるから、昔のように気持ち悪くて辛くなることもないよ。私はそれで助かったと思う。
小林麻央さんは、高度な医療を受けられると思うけど、骨まで転移しているようだからどうかなぁ・・・」

と、まだ肺に癌が残っている友人が心配していました。
(この癌は大きくなっていないそうです。)

この話をしていたときはすでに麻央さんはこの世にいなかったようですが、私たちはそれを知らずに話していて、帰宅後ニュースを見て驚いたのです。


長男の友だちのお父さんで40代で亡くなった方が、すでに3人もいます。

癌などの病気が原因です。

私のまわりだけでも麻央さんと同じように苦しんでいる人やそのご家族が何人もいることを考えると、麻央さんや海老蔵さんの生き方がブログに綴られることによって励まされた方は多いのではないでしょうか。

そして、麻央さん自身も読者のみなさんに励まされていたのかもしれません。

それは、麻央さんがBBCに寄稿した中にもありました。

闘病をブログで公表し日向に出る決心をしたことによって、たくさんの方が共感し祈ってくれたこと。

苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験をコメント欄を通して教えてもらったこと。

(麻央さんが)怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていたこと。

100万人以上の読者の方と繋がっていたこと。


一部ですがそのようなことが書かれていました。


麻央さんの闘病のブログは、100万人以上の方が読者になるほどの力があったのだと思います。


それから、海老蔵さんへの力も大きかったと思います。

海老蔵さん自身も、「僕を変えた奥さん」と麻央さんのことを言っていました。

私から見た海老蔵さんの印象は、以前はあまりよくなかったのですが、麻央さんの癌が公に知られてしまい会見をしたとき、これまでと全く違う人のように見えました。

誠意があって丁寧に質問に答える姿は、私が持っているイメージの海老蔵さんではなかったのです。

その後、何度か麻央さんのことなどでインタビューに答えるところを見ましたが、いつも丁寧で心がこもった答え方をしていました。

麻央さんが海老蔵さんを変えたのかもしれないし、元々海老蔵さんが持っていた部分を引き出したのかもしれないし、わかりませんが麻央さんの力があってのことだと思います。



これから先、海老蔵さんはまだ小さい子どもを育てなければなりません。

でも、海老蔵さんならきっと大丈夫だと思います。

テレビやブログを通してですが、応援していきたいと思っています。


そして、小林麻央さんのご冥福をお祈りいたします。






2017年6月21日水曜日

「産んでくれてありがとう」と娘さんたちに言われた人の話。


長男が小学校に入学と同時に、結婚前に新製品開発していた会社に出戻りし、パートタイムで働き始めました。


再び働き始めた会社は、知っている人が数人残っているだけで、がらっと雰囲気が変わっていました。

私が結婚退職時に新入社員だった人は先輩社員となり、相変わらず美人で、後輩たちに慕われ、おじさんたちのアイドルのまま。


そんな若い社員に混じって、年配の女性も入社していました。

社長の知り合いで入ったらしく、料理がすごく上手で、食品の新製品開発業務に適した方。

今回はその人の話です。



夫の大阪土産。我が家で好評。

新製品開発の仕事は、製品を分担して開発します。

学校の調理実習室みたいな部屋があって、担当別にテストテーブルが決まっていました。

そこで試作し、担当外の人とも話をしたり、お互いの作ったものを試食評価しながら、何日かかけて新製品を作り上げていきます。

そこでは、社長の知り合いで入った年配女性のOさんともよく話しました。


Oさんは、お嬢様育ちで社長婦人。

金持ちは連鎖します。

社長だったご主人を数年前に肺がんで亡くされていましたが、お子様は息子さんと、双子の娘さんの3人いました。


仕事中の雑談時、Oさんが、双子の娘さんの20代半ばの誕生日に、

「『お母さん、産んでくれてありがとう』ってプレゼントをもらったのよ。」

と話すのを聞いて驚きました。


子どもの誕生日に、子どもからプレゼントをもらったなどという話は初めてだったからです。


でも、Oさんならそれも有りだなぁと思ったのです。



どんな子育てをするとそうなるのか、雑談の中から探ってみたいと思います。




料理好き


料理が好きで得意。

私のように栄養士や調理師の免許がなくても料理の腕はずっと上でした。

お子様の誕生日やクリスマスのケーキはいつも手作りだったそうです。

ご主人が生きている頃は昼間仕事を手伝って、夜、家事が一通り終わったあとにケーキを作ったりすることが多かった、と話していました。


美味しいご飯やおやつを作ってもらうと、人は愛情を感じやすいのかもしれません。

お金持ちの家でも、お母さんがお弁当やご飯を作らず、お金を渡すだけで育てられると、心の空腹感ができてしまいます。

そして、子どもは自分の存在価値を感じられなくなってしまうのだそうです。


Oさんの母


Oさんを育てたお母さんも料理上手なのかな?

と思っていました。


けれども、料理が下手な人だったそうです。

だから、学生時代は自分でお弁当を作って持って行ったと話していました。


老人になってからも母親は全然料理を作らないので、Oさんは早起きし、ご両親の昼食と夕食を作ってから出社していたそうです。

「母のためではなく、父のために作っている。」って。


ご主人


息子さんが中学生のころいじめにあったとき、ご主人がいじめている子と会ってじっくり話したそうです。

その後いじめはなくなったらしいのですが、何を話したのかはわからないと言っていました。


まとめ


「産んでくれてありがとう。」

と娘さんたちが自然に言えたのは、頼りになるお父さん、愛情あふれるお母さんのもとで育ったからかもしれません。


自分の学生時代を思い出すと、母は料理が上手いけど好きではないようでした。

フルタイムで働いていた母の夕食は、スーパーで買った惣菜ばかりで、文句は言えませんでしたがうんざりしていた覚えがあります。



主婦(主夫)は料理を毎日しなければなりません。

私や私の母のように料理が好きではない人には大変なことです。

でも嫌々やっていたら、その気持ちは食べる人に伝わります

気をつけなければいけないなぁと思いました。


Oさんの娘さんたちは、心を込めて作られた料理を食べることによって、生まれてよかったと感じたのかもしれません。


子どもに、生きていていいんだ、という安心感を与えるのには、愛情を込めたごはんを作ることも大事なことのひとつなのかもしれないですね。


娘さんが結婚し妊娠中の悪阻時には、手作り冷凍食品を作り送ってあげていました。

休日はずっとその作業をしていたと少し疲れた顔で、でも嬉しそうに話していたのを時々思い出します。

見習いたいけど、そう簡単にはできない難しいことだと思います。


2017年6月20日火曜日

自分の国は自分たちで守る。


先日、隣の奥さんと自治会の話をしていたとき、

「自治会もいろいろと問題があるけど、私はミサイルが飛んでくるのではないか?と思うと心配でね。眠れなくなっちゃった。」

と、言うではありませんか。

こんな小さいご近所さん同士の問題ではなく、国のご近所付き合いのほうが心配と言われれば、確かにその通りです。


日本もいつまでもアメリカに頼っていないで、そろそろ自分で守っていかないと、ご近所さんがジリジリ迫ってきています。

ご近所さんに舐められていませんか?



私自身も、おばさんになったら見た目弱そうなのか、舐められてる?と感じることがあります。

公務員って就職先にいいんじゃない?と思っていたけど、どうなの~?と思った理由。の記事に書いた、保育園給食パートの時にいた正職員。

その人に仕事を始めて数ヶ月は、ぐいぐい攻めてこられました。

こういう人は少し反撃すると攻めてこなくなるものです。

その時は、相手がつっこみどころ満載だったので、かなり強めの反撃をしてしまいました。

相手のダメージは大きかったけど、自分も別の方面からやられてしまいました・・・
(詳細はその記事にあります)

だから、本当は争いは避けるのが無難。

逃げられるものなら逃げれば良いのですが、国の場合逃げられません。


やはり防衛力を強くして、舐められないことも大事です。





ONEPIECEの登場人物、クロコダイルも言っていました。

「負け犬は正義を語れねェ・・・」

アラバスタ王国を乗っ取ろうとしたクロコダイルを阻止できたのは、ルフィー率いる海賊の「麦わらの一味」で、正義を語る海軍ではなかったのです。

力がなければ救いたくても救えない。


そういう自分も政府に頼ってばかりいてはいけないのでしょうか?

力なさすぎ。汗

どうしたらいいのかなぁ~






2017年6月18日日曜日

生まれて3~4年の甘えが人生80年の基盤をつくるという話。


私が日記をつけるのは気まぐれで、結婚後は妊娠中のつわり日記、子ども達が小さい頃の日記を少し書いたことがあります。

昨日、久しぶりに長男が1~2才のときの日記を読み返してみました。

全く忘れていたことが記録されていて、あの頃の長男の可愛さや育児の辛さ楽しさが蘇り、少し胸が痛くなりました。

その薄い日記帳は、最後まで書かれず途中で終わっていました。

結婚後、社宅に住み、長男が2才のときに家を建てて引っ越していく直前までの日記でした。

社宅にいたときは、子どもが小さい世帯ばかりでしたが、同じ棟に高校生以上の子どもがいる世帯がありました。

その奥さんが私たち育児初心者にと、本吉圓子先生の講演会があることを教えてくれて、一緒に行ったことが日記に書かれていました。

その方には河合隼雄さんの本を教えてもらったこともあり、もっと色々話してみたかったなぁと今ごろになって思っています。

とにかく、初めての育児で余裕がなく一杯一杯だったから仕方がないのですが。

社宅の同じ棟の奥様たちと一緒に講演会へ行きました。

どこで会があったのかはさっぱり覚えていません。

どのように行ったのかも・・・


その内容は日記の最終ページに書かれていたのですが、私の育児の考え方は、この講演会が大きく影響してきたと思います。

どんな講演会だったか、日記に書いてあったことだけですがご紹介します。


今日はお茶を飲みながらではなく、これを食べながら書いています。旨っ!

本吉圓子先生は、保育園の園長先生だった方で本も出しているようです。


甘えさせること

生まれて3~4年の甘えが人生80年の基盤をつくる。

スキンシップや愛情面で甘えさせると子どもは満足し、心に基地ができ情緒が安定し、問題行動がなくなり、自立し親離れができるようになる。

「甘えさせる」と「甘やかし」は違う。

「甘やかし」とは、子どもが要求していないのに先回りしてやってあげたり、言われるままに(心底から要求していないのに)物を買い与えること。

ちょっと難しいことになると手をすぐに貸してしまうこと。

物質的、金銭的な要求をすぐに叶えてやること。

「甘やかす」と欲望を制御できなくなる子どもができあがる。

失敗の経験


子どもは失敗するのが当たり前。

できないのが子ども。

子どもは叱られてよくなることはない。
(体罰などで一時的に問題は抑制できるが、思春期や大人になりさらに大きなエネルギーで排出される。)




幼児期に育てたいこと


自主性


子どもに任せて、目は離さず、しっかり見守るけど、手も口も出さない。

失敗させて考えさせ、自分で解決させることが必要。

これが育った子は、自分のしたいことを自分で決めて行動する。

友達と違うことをしていても全く動揺せず、失敗しても他人のせいにせず再び取り組んでいく。

そして選択を迫られたときは、価値の高い方、やりがいのある方を選択していく。


意欲


「ガンバレ」と励ましたり、やらせようと命令したり、叱ったりしても、やる気は起こらない。

大人が90%作って残りを作らせ、「できた」という小さな喜びを味わわせることから始め、徐々に手を引き、自分で作るところまで目をかけ手伝っていく。

親は根気よく絶対叱らず、小さなことでも見つけて認め、やる気を起こさせる。


思いやりの心


やさしさを受けて育つ。

感動体験を通して育つ。

自分が困ったときの周りの人からのやさしさは、心の琴線を鳴らす。


まとめ


以上が日記にメモしてあったことでした。

できる時には実行してきましたが、振り返ってみると全部できていなかったです。

これらを実行するのは、時間もかかるし根気もいることです。

ただ、生まれて3~4年の甘えはさせてあげたつもりでいます。

自分は少なくとも母親には愛されている。

という安心感だけでも持っていてくれるといいな、と思っています。


失敗の経験は多すぎて(特に長男)、最近の失敗は親の私たちまで巻き込まれています。

様々な問題の解決を親子で実践、勉強中です。



2017年6月17日土曜日

仕事の時間を減らし、子どもとの時間を増やした理由。


長男が小学校に入学と同時に、結婚前に新製品開発していた会社に出戻りし、パートタイムで働き始めました。

始めは7時間半勤務でしたが、4年目からは半日勤務に変えてもらいました。

その理由は2つありました。





会社


1つめは、その会社に魅力を感じなくなったことです。

以前は、その部署は技術系の人を集めていました。



けれども、消費者がどのようなものを望むのかは営業の人のほうが敏感にわかるのではないか?

ということで、徐々に営業系の人を集めるようになっていきました。


製造の立ち上げをする部署に製造を知らない人が上司か・・・

なんて思い始めたことと、

子どもと過ごす時間を大事にしたい、

という気持ちから短時間勤務に変えてもらうことにしました。


そして、その1年後の契約更新の時期に上司から

「更新できなくなった」

と言われたのです。


ちょうど会社の経営状況も厳しくなっていたようで、ほかの契約社員も切られていました。



そのとき私の契約を切った上司も、新製品開発の現場の経験がなく営業からきた人。


前記事の勤務中に指を怪我した私に、

「なんで労災にしてしまったの?」

と言った当時の総務部長の息子でもあります。


この親子とは相性が悪かったのかもしれません。(苦笑)




送別会のとき、その上司が、

「お子様が中学生になって、長時間勤務できるようになったら再雇用します。」

などといい加減なことを言っていました。



「一番怖いのは、会社を辞めた人が我が社の製品を買わなくなること」

と他の人に話しているのが聞こえました。


その話が聞こえていなくても、社員でなくなった時点で普通の消費者になりますから、他社製品のほうが優れていればそちらを買います。

自分の手がけた商品も買わないかな?

自分でもっといい材料を使って作れるから。


この会社の後の勤務先でも、半日パート勤務しかしていません。


子ども達も大きくなったので、そろそろ長時間勤務できますが、今度は使ってくれるところがなくなってくるものなのです。




子どもとの時間


子どもとの時間を増やしたい気持ちが、短時間勤務を望んだ2つ目の理由です。

自分の子供時代


自分が保育園のころからずっと両親共働きでした。

保育園の迎えは最後のほうで、保育士さんと一緒に外で母を待っていた記憶があります。



小学生のころは鍵っ子でした。

色々な友だちの家に行って遊んでいたので、寂しいと思うことはなかったです。


「困ったことは親に相談すれば良い」

ということは全く思いつきませんでした。


だから、私の親は私の困り事のほとんどを知らずに今もいます。



学校の先生には「いい子」と言われていました。

大人の言いなりで「自分の意見がない子ども」だったと思います。


高校のときの古典の教師に授業で質問されたのが、自分に似ているなぁ、と思った人物のことでした。

「この人(古典の登場人物のこと)はどうしてこのように言ったと思いますか?」

と聞かれ、

「自分の意見がないからだと思います」

と答えたことを鮮明に覚えています。


古典の教師は、私がそういう人物だとわかって私を指したのだと思います。



母は自立させるようなことを教えず、いつまでも小さな子ども扱いで親の意見を押し付けていました。


それに妹は気付き反抗していましたが、そうすると母の風当たりが強くなり家でくつろげなくなる上、進学まで影響しました。


母と違う子育て法


とにかく、母と同じ子育て方法では失敗する。

そういう理由で、長時間勤務をしての子育てをやめてみることにしました。


金銭面は、結婚が遅かったので貯蓄も少しありました。

将来の進学時には困りますが、その時点では問題ありませんでした。



長時間勤務で母に夕方子ども達を見てもらっていましたが、自分と同じ道を辿るのではないかという不安が出始めていました。


私たち姉妹から見れば、子育て中の母は欠点だらけの家事育児でしたが、自信があって後悔はしていない母。


私が長時間パート勤務をしていたときに長男が、

「ばぁばじゃなくて、お母さんにいてほしい。」

と言い出しました。


孫にまで自分の考えを押し付け始めていたのです。


母(ばぁば)の良いところだけを子ども達に学ばせるのにはどうしたらよいか・・・

長男の言葉を機に、短時間勤務に変えてもらい、母と少し距離を開けてみたのです。


これによって、長男と母(ばぁば)の関係は良くなりました。

大学生になった今も長男は母(ばぁば)に遠慮せず色々頼み、母(ばぁば)はそれに喜んで応えています。


私の方も短時間勤務にしたおかげで、子ども達の成長を見守ることができ、

「お母さんと一緒にいたい」

と言ってくれる貴重な時間を共にすることができました。


まとめ


あと少しで子ども達は親離れし、私も子離れしていく時期になります。

子どもの小さい頃に一緒に過ごした時間が多かったので、お互いすんなり離れられると思います。


これから先は大人同士の付き合いになっていきます。

私自身が未熟な人間ですので、今後も子ども達と一緒に成長し続けたいなぁ~

と思っています。


2017年6月15日木曜日

労災を嫌がる総務部長vs品質管理部長


現在パート勤務している会社は小さい会社で、考え方もちょっと時代遅れな感じがします。

お茶当番があって、お客さんが来たとき以外にも、男性社員が出社するとお茶やコーヒーを出します。

時代が逆戻りした感じ。

ただ、お茶を入れるのは好きだし、ずっと座ってパソコン入力をしていると歩きたくなるので、最近はこの当番を気に入っています。

同室に総務、経理、営業事務関係の女性社員が何人かいて、平均年齢は高め。

私はほとんど無言で、ひたすら伝票打ちをしながら社員の話を聞いたり、夕食の献立を考えたりしているのです。


通勤中の事故


先日、社員の話を聞いていたら、労災保険のことでした。

新入社員が昼休みに帰宅したとき、自転車のトラブルで怪我をしてしまったそうです。

病院へ行ったら労災か聞くように病院に言われたけどどうしたらよいかと、新入社員の上司が尋ねにきたのです。

そこにいた人が皆、

「なんで労災にしてきちゃったのかなぁ。」

「そもそも、昼休みに家に帰るなよ~」

と話していました。





でも、新人を責めるようなことを言ってどうなの?と思ってしまいました。

だから、

「新人さんも労災にするとか関係なく、病院でどうして怪我をしたか聞かれたから、そのとおり話しただけだと思いますよ。」

と、つい言ってしまいました。パートの分際で・・・


それは、私が前に勤務していた会社でも言われたことがあるからなんですが。




勤務中の事故


これまでの記事にも書きましたが、以前、食品会社で新製品開発業務をしていました。

新入社員のとき、プレテスト機を使用後、洗浄していました。

ヘラをぐるぐる回しながら、その上部をスポンジでこすっているうちに下部まで手をうっかり出してしまい、回っていたヘラで指の皮が深く削げました。


(これ以後、少しだから大丈夫などと思わず、必ず回っているものや動いているものは止めてから作業するようになりました。)


上司に、

「こんなになってしまいました~」

と指を見せたら驚いて、

「早く病院へ行って!」

と言われ、すぐに病院へ行きました。

製造業務は危険が多く、上司もよく血を流し、そこの病院へフラフラしながら行っていました。

男性は血に弱いようで、私の怪我を見てもフラっとしていました。


病院ではなぜ怪我をしたのか聞かれますから、その通り話しました。

で、

「それでは労災だね。」

と言われ、何針か縫って帰ったのです。


それから総務に連絡したら、総務部長に、

「なんで労災にしてきちゃったの?」

と言われてしまいました。


自分の部署の部屋に帰り、そう言われた話を上司にしていたら、同室の品質管理部の部長が総務部長に電話して、

「勤務中に怪我をしたんだから労災でしょう。なぜ労災にしてきたのか?と聞くこと自体おかしいぞ。」

と言ってくれました。

私の部署の部長は同室にいなかったので、いつも隣の部の品質管理部長が助けてくれました。


これは、もう30年前の話。

今はそんなことを言う総務部長もいないと思います。


まとめ


労災保険を使用するのは労働者の権利です。

それにしても、経営者に言われるのはわかりますが、同じように雇用してもらっている立場の人が、労災を嫌がる心理ってなんでしょうか?

いろいろな権利を与えられて、経営者みたいな気持ちになってしまっているのでしょうか?

まさか事務処理が面倒?
なんて思っていないと思いますが。


会社というところは、こういう不思議なことがよく起こります。

組織というものに入るとよくある話なのかもしれませんね。


ところで、これを書いてて思ったのですが、
大学生になり一人暮らしを始めた長男のトラブル(その1)
は労災だったかもしれませんね。

もう遅いけど。

追記
でも、病院へ通うほどの怪我をしていないから労災ではないですね。



2017年6月14日水曜日

母が毒を持った原因を考えてみた。


前記事の続きの話になります。

私の母は少し毒を持っていました。

それを連鎖させないために、毒を持った原因は何だったのかを、母の幼少期を振り返りながら考えてみたいと思います。


母の生い立ち


2才のとき、父親が戦争から帰ってきました。

そのとき初めて会った父親を怖がったので、父親との関係が悪くなったと聞いています。


お姉さんは、美人で走るのも早く村で有名。

私の知っている叔母さんは「おばさん」で、美人の面影はありませんが。


一方、母は大人になってから美人と言われましたが、小さい頃は違いました。

だから父親は、美人のお姉さんだけが自慢の娘で、母はかわいくない子としての扱い。


ちなみに、母の家系は全員美人で、母の親戚一同での田植えの時期には新聞社が写真を撮りにきたそうです。




そして、私は残念ながら父に似てしまいました。

毒はいらないけど、遺伝子は欲しかった(笑)



母は母親を中学生のときに亡くしています。

腹水が溜まる病気だけど何の病気か不明。

貧乏なので自宅療養で、時々腹水を抜いてもらい、おむつは母たちが交換していました。

現在のような紙おむつがないので、布おむつ。

近くの川で洗濯しますが、近所の人に見られないように早朝、冬の寒い日にもしたそうです。


中学生で親の介護をしていたと聞くと、母も大変だったんだなぁと思い、かわいそうになります。

「ごめんね。ごめんね。」

と娘たちに謝り続けて亡くなったそうです。



おむつを洗濯した川は、現在あまりきれいではありませんが、当時は子どもたちが泳いだり、蛙やザリガニを獲って遊んだ場でもあったようです。


母親が病気になる前に、そんな自然の中でのびのび遊んだ経験が母を強くしたのかもしれません。

小学生のころは、流れが急な増水した川で友だちと向こう岸まで泳いだそうです。

下手をすると橋にぶつかって危険だけど、皆泳ぎきったと。

今なら親が「危ないからやめなさい」というようなことを、母世代の親はなにも言わなかったと言っていました。

逆に、

「一人ぐらい帰ってこなくてもいいぞ!」

なんて父親に言われるので、意地でも帰ったと話していました。


学生時代は貧乏で給食費が払えないので、お弁当を持っていったそうです。

他にも、そういう子がいて、お互いのおかずなしのお弁当を見て、

「またそれだけ?」

と言い合っていたって。


今は給食費を払えるのに払わない家があるらしいですね。

で、給食を食べているでしょ?

母の話を聞くと、それはどうなの?

と思ってしまいます。


進学

母親が亡くなり、もともと貧乏だったので高校へは行けませんでした。

勉強はできたので(本人が言うから本当かわからない)先生がお金を貸してあげるからと進学をすすめたそうですが、父親が断ったそうです。

すぐにお金が必要だから働いて欲しい、と。

中卒で就職しました。


毒を少し持った原因


戦争と親の病気による貧困が原因で、母自身が親から愛情と教育を十分に受けてきませんでした。

それが毒を持った大きな原因と思われます。





連鎖を断つ対策



母は、自分が毒を持った子育てをしたことに気づいていません。

時々、母が私の子育て法について意見を言うので、

「お母さんの子育てこそ失敗だったね。私たち姉妹を見ればわかるじゃん。」

と言っても育て方ではなく、生まれついたものだと言いますから。



そして、子育ては自立させるためにすることをわかっていません。

母自身、親から何も教わらず大人になったので、子どもにも何も教えなくても良いと思っていたようです。



母の毒は人に指図したり強制すること。

子どもは自分の思い通りになり、またそうしようとするところ。

何かに挑戦しようとすると「無理じゃない?」といつもネガティブなことを言うこと。



長所は、社交的で明るいこと。

話しが上手いこと。

働き者で、昼間はパート、夜は内職をしていたところ。



以前、私の子ども達を母に預け長時間パート仕事に出ましたが、当時小学生だった長男が、

「(ばぁばより)お母さんがいい。」

と言うようになりました。

(今は、そう言ったことを忘れているようです。)


理由はわかりませんが、何かあったのだと思います。

あまり近すぎると母の悪い部分が子ども達に影響するかもしれないと思い、短時間パートに変えました。

少し離れて接することで、母の長所だけが見えるようになります。


毒のある人も、良いところがありますから。



子ども達には、生きていくのに必要なことは教え、進路の選択は自分でさせるようにしていきたいと思っています。


当たり前のことですが、私たち姉妹にはできなかった大事なことなのです。

そして、助けて欲しいと言ったときにはいつでも助けられるように準備しておきたいと思っています。


2017年6月12日月曜日

少し毒のある母親に育てられた姉妹の子育て。


土曜日は妹とランチ。

一人で済む用事がありましたが、妹を誘うことにしました。

その後、食事をしながら久しぶりにゆっくり話をしてきました。

妹は、少し前に書いた海外旅行時の空港でのトラブル。大学生の姪の話。の母でもあります。


私たちの母親は、少し毒があったように思います。

同じ母に育てられても受け取り方が違ったことに、それぞれが子育てを始めてから気がつきました。

そのことについて書きたいと思います。



習い事

習い事についての考え方は妹と逆でした。

妹は塾に行きたかった人。

私は行きたくなかった人。

母は、私には行っていいと言い、妹にはダメだと言ったらしい。


母に聞くと、妹にダメだと言った記憶がないらしいので、どちらの言っていることが正しいのかわかりませんが、私たちが塾に行っていなかったのは事実です。


妹の方針


だから、妹は子ども達に小さい頃から塾へ行かせました。

姪は塾が好きで、高校までずっと通っていました。


現在、地方国立大学生。

前期に受けた難関大学は落ちて挫折の経験はあります。


ただ、英語は得意で好きなので、海外旅行やバイト先で外国人が来たときに役立っているようです。

このような結果をみると、早期英語教育をさせたほうがよかったのかなぁ?と思ってしまいます。



一方、甥は塾が嫌い。

それをママに言えず、3つも塾に行っていました。

甥が小学生の頃、母(おばあちゃん)のところに遊びに行って描いた絵は、自分は鳥で空を自由に飛び、ママにフンを落とすというものでした。

そして、

「塾は地獄だよ。」

と話していたそうです。

この甥は、小学校高学年のときから精神的に病んでしまいました。


その後、甥のことが原因で母と妹は会わなくなりました。



私の方針


私は甥と同じタイプなので、甥の気持ちはよくわかります。

子ども達も塾を嫌がるので、受験の直前に短期で行ったことがあるだけです。

それも、子ども達が納得して行きました。


私の場合、母の悪影響があったのは部活で、入りたい部活を反対されたことが2度ありました。

そのとき、仕方なく入った部活は続かず。

自分で決めたことなら自分が悪いと思うのですが、人に強制されてやったことで失敗すると人のせいにします。

だから、子ども達には意見やアドバイスはするけど、強制はしないようにしています。



進路

私たち姉妹は、たぶん経済面だったと思いますが、高校は絶対に公立へ行くように言われていました。

静岡の公立高校の受験は1度しか受けられないので、落ちるわけにはいきません。

だから、ランクを落とすことにしました。


短大へは行かせてもらえましたが、自宅から通える範囲なので自分の得意分野は生かされませんでした。

妹は短大さえも行かせてもらえなかったので、今だに学歴にこだわっています。

「姉さんは短大に行けてよかったね。」

と言われると何も言えなくなります。


子ども達には、経済面を気にしないように進路を選ばせるようにしました。

これは姉妹同じ考えです。


ただ、最近は学歴より実力だと思っていますが、妹は学歴にこだわっています。




まとめ


母は世間体を気にする人なので、子どものことを本当に考えてしてくれたことは少なかったように感じました。

そして、考えを押し付けるところがあります。

でも、人は変えられないので、それを反面教師として自分たちの子育てに生かすしかありません。

姉妹でも全く同じようにしてもらったわけではなく、母に対する考え方も少し違います。


子育ての良い見本を見ていないので手探りでしてきた私たち。

完璧な子育ては難しいけど、自分がそのとき一番良いと思った方法でこれからも育てていきたいと思っています。

まずは、自立できるようにすること。


そして私は、

「産まなければよかったじゃん!」

と母に言ったことがありますが、


子ども達には、

「産んでくれてありがとう。」

と言ってもらえる日がいつかくるといいなぁと思っています。


自分がそう思っていないから手探り状態ですが、それが私の子育てのテーマでもあります。



2017年6月10日土曜日

人は外見が大事だと思ったあれこれ。


人は外見が大事。

それは、ほとんどの人が経験していることだと思います。


なんといっても、美男美女は得ですね。


特に美人さん。

以前勤務した会社では、上司の評価によって若干給料が違いました。

そのとき、美人のAさんより、明らかに仕事が出来る人のほうが評価が下でした



また、そこは新製品開発業務だったので試食のために様々なお店に行きました。

そして、そんなときにも美人は呼ばれます。

上記の上司とは違いますが、この上司の試食のときは美人のBさんが必ず誘われました。

仕事内容に関係ない試食のときもです。


担当外といえば、バブルの頃もそうでした。

年に数回、有名なシェフを東京支店に呼んで料理教室を開いていましたが、製品開発に関係ない美人秘書は必ず呼ばれていました。


美人は色々な人に美味しいものを食べさせてもらえるので、舌が肥えて益々よい仕事ができるようになり、評価がどんどん上がっていくのです。

そして、皆に親切にされるから性格もやさしい。

その会社の同じ部署の美女軍団(男性社員がそう言っていた)は、美人であることを鼻にかけていないので、女性からも好感を持たれていました。


スタイル


顔もそうですが、スタイルがよいのも大事です。

フィギュアスケートというスポーツは、特にそれを感じます。

スタイルがよい選手は演技が華やかになります。

もちろん高い技術があってのことですが。

芸術的要素を含んだスポーツは、外見も大事なのです。


普通の人でも、スタイルが良いのは評価が高くなります。

人によっては、顔よりスタイルを重要視します。


服装、髪型


顔がイマイチでも服のセンスがよくて、髪型がきまっていると外見がぐぐっとよくなります。

夫は顔もスタイルも平均値。(私も)


普段着もイマイチ。

短パンを好んで履いていますが、それに合わせる靴下がダサい。

それを子ども達が嫌がります。


以前、休日の部活があった娘を迎えに行って、帰りに寄ったお店に同級生がいました。

そこで、

「あれはお父さん?」

と聞かれ、

「違う!」

と全否定。


娘は短パンのお父さんを友だちに知られたくないので、お父さんに「あっち行って」と手で合図していました。

夫はそう言われても気にしないタイプ。

帰宅後その話になったとき、

「手であっち行っての合図するから友達にわかっちゃったんだよ~」

と言いながら笑っていましたからね。


逆に気にしていなすぎて、いつか長男の部活の試合の応援に水着で行こうとしたときは家族全員で止めました。

いくら雨で濡れるからって、派手な花柄の水着は考えものです。

夫は、

「なんでダメ?」

なんて呑気に言っていましたが、長男が、

「絶対その水着で来ないで(怒)」

と言うので、渋々普通の短パンに着替えて出かけました。


結局、雨があがり晴れたからねぇ・・・

って、そういう問題でもないか。


そんな夫も仕事用のスーツとコートは良いものを買っています。

質の良いコートを着た日のこと。

トイレに行きたくなって、警察署に入ったそうです。

そうしたら、警察署員が夫に、

「おはようございます。」

「おはようございます!」

と言うので、

「おう、おはよう。」

「ん、おはよう。」

などと挨拶をしながらトイレを借りたそうです。


これが短パンだったら全然違ったことでしょう。

追記・・・短パンで警察署に入ってトイレを借りたときは、署員がトイレまでついてきて、出るまで待っていたそうです。


まとめ


夫や私は親からいただいたものが人並みなので、服装や髪型でよくするしかありません。

長男もそのへんのところはよくわかっていて、一人暮らしでもせっせとアイロンがけをしています。

若くて細いから、きちんとしていればそこそこよく見えます。

夫のことを言っている自分も、長男の置いていったTシャツを自宅で着るという無頓着ぶりは反省しなければいけません。

せめて外出時は、子ども達に嫌われないようにきちんとしようと思います。

外見は大事ですから。





2017年6月9日金曜日

蟻とティッシュボックス


一昨年、子ども部屋に蟻が出始めました。

子ども部屋がある2階には、食べ物を持ち込まないことにしています。



「本当に2階で食べてない?」

と聞いても、

「食べてない。」

というので、蟻がどこへ行くのか見てみると・・・


ティッシュボックスの中に入っていくではありませんか。


そして、ティッシュを1枚出すと蟻も一緒についてきて、ティッシュにプツプツ穴が開いています。

まさか?と思い箱を崩して見てみると、ひぃぃぃ~

大量の蟻がぁぁぁ・・・

となって、我が家は大騒ぎでした。


もう、ティッシュまるごとゴミ袋に入れ密封してゴミの日に出しました。

安い日を狙って買ったティッシュ。

その努力が無駄になってもかまわない!

と思うほど、気持ち悪かったです。


蟻が外で行列を作って餌を運んでいる姿を見てもなんとも思いませんが、家に入った途端、気持ちの悪い生き物のような気がしてしまいます。


その後、まだティッシュボックスがあると思って蟻がくるので、アリの巣コロリを置きました。

しばらくして、全くこなくなり一件落着。


製紙会社さんのページに書いてあったのをコピペしたのが、

これ↓

ティシューに寄る蟻は、ルリアリと呼ばれる蟻と推定されます。ルリアリは、黒色で体長2ミリ程度の大きさであり、主に西日本に分布しています。しかし、近年では、関東地方にも分布域が拡大してきているようです。ルリアリは、樹皮の裏や枯れ枝の腐った部分などに巣を作る習性があります。ティシューペーパーは、木材パルプが主原料であり、箱の中に1枚1枚詰められている状態が、樹皮の裏に良く似ているため、毎年春から秋にかけて寄ってくるのではないかと考えられています。ティシューそのものには、蟻が好むような成分は配合していません。 ルリアリがティシューペーパーに寄ることは、当社の製品だけではなく、一般的な現象となっています。
一度侵入したルリアリは、仲間を呼ぶために蟻だけが判別できるにおい(フェロモン)を通り道につけています。そのため、再侵入を防ぐためには、
①蟻の通り道を、ぞうきんなどで水拭きをする
②ティシューの置き場所を変える
などの対応をおすすめします。 


と書いてありましたので、我が家以外にも被害者がいるようです。

ティッシュ箱の丁度よい暗さもお好みなのかもしれないと思い、それ以後ボックスタイプのティッシュは買わなくなりました。


これでどうだ?蟻さん!


大学受験、入学、一人暮らしを始めて1年間にかかった費用のまとめ

この春、長男は大学2年生になりました。 大学受験、入学準備、一人暮らし にかかった費用の 詳細を過去記事に分けて書きましたが、キャンパス移動も概ね無事に終わり落ち着いたので、 ここではそれらを、 「 う ー ん ! 」  (ピコ太郎さん風) とくっつけて、受験から大...