少し前、帰宅中の車のラジオで、絵本の「おおきな木」の話をしていました。
それからすぐに家に着いたので、ラジオの内容はわかりませんでしたが、その絵本は村上春樹さんの訳で読んだことがあります。
あらすじを簡単に言うと、おおきな木はりんごの木なのですが、少年のことが大好きで、その少年がなにかを欲しがるたびに自分の実や枝、幹を与え続け、切り株だけになってしまいます。やがて年老いた少年が木のところに戻り、切り株にこしかけてゆっくり休むところで、
木はしあわせでした。おしまい
と、物語が終わります。
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村上春樹さんのあとがき
村上春樹さんのあとがきの一部分をコピペします
↓
この「おおきな木」は原題を“The Giving Tree”といいます。文字通り訳せば「与える木」です。このりんごの木は最初から最後まで、一人の少年に何かを与え続けます。木は原文では「彼女」と書かれています。つまり女性なのです。だから言葉づかいも女性のものにしました。多くの人はこの木を母性の象徴としてとることでしょう。しかしそれはもちろんひとつの解釈に過ぎません。あなたはそこに違う意味を読み取ることになるかもしれません。それはあるいはあなただけにしかわからない、個人的な意味かもしれません。あなたはこの木に似ているかもしれません。あなたはこの少年に似ているかもしれません。それともひょっとして、両方に似ているかもしれません。あなたは木であり、また少年であるかもしれません。あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です。それをあえて言葉にする必要もありません。そのために物語というものがあるのです。物語は人の心を映す自然の鏡のようなものなのです。
物語は人の心を映す自然の鏡のようなもの、となると自分はどう感じるのか?ですね。
りんごの実をあげるところまではよかったのですが、枝や幹まであげてしまう木。
木がそんな姿になってもおかまいなしに持っていく少年。
どちらも、う~ん、って思ってしまいました。
この絵本で感動した人もいるようですが、私の場合まったくしなかったです。
今の私は、与えすぎたり貰いすぎるのを好まないからかもしれません。
木は、本当に少年のことを愛しているのなら、欲しがるままに与えすぎてはいけないのでは?
とか、
少年は、都合のいいときだけ木のところに帰ってなにかを欲しがるというのは、ちょっとずるいのではないか?
と思ってしまったのです。
ただ怖いのは、自分もこの木や少年のようになる可能性があるところです。
それは、我が家の長男が、この少年にちょっと似ているから。
長男の場合
今は車が欲しい長男は、去年はマウンテンバイクを欲しがりました。で、それを与えたり与えようとしているんだから、しょうがない親です。
今のところ、りんごの実をあげている程度だと思っていますが、このままでは「おおきな木」と同じになってしまいますね。
車については県外一人暮らし大学生の長男が今欲しいもの。の記事でも書きましたが、実家でもうすぐ処分するものです。
長男は、車の維持費をバイトで貯めているようなので、こちらもその熱意に負けてしまいました・・・
物語は人の心を映す自然の鏡
モノそのものよりも、知識や経験、子ども達が自立するために必要だと思うものを欲しがったら、見返りは求めず与えるつもりです。
「おおきな木」の少年のように、いつまでも欲しがる大人(老人)にならないように、与えるのです。
車について言えば、自然に恵まれた大学周辺をドライブすることで、こちらではできない経験を積むことや、車の運転が上手くなるといいなぁ、という目的で与える事にしました。
りんごの木の枝や幹の部分まで与えないように、または、年をとったら逆にその部分まで欲しがらないようにしたいものです。
それがこの物語から映し出された、今の自分の心の中でした。
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