昨日のプレバトの俳句のテーマは「秘密基地」でした。
俳句はよくわからないけど、時々自分に刺さる俳句があります。
昨日の梅沢さんの俳句もその一つ。
少年の空蝉残る秘密基地
空蝉(うつせみ)は蝉の抜け殻。
少年たちの秘密基地に少年たちの集めた蝉の抜け殻が残っている様子が目に浮かびます。
もう秘密基地に少年たちはいなくて、それが夏が終わっていないのか、少年たちが大人になっていないのか?
空蝉が少年たちと重なって何となく寂しい感じがする俳句。
息子が大学進学で家を出て行っていなくなった頃の気持ちを思い出す。
解釈は人それぞれだと思います。
(ちゃんとしたものを知りたければ、プレバトの夏井先生の解説を見ると良いです)
プレバトを見ていると「空蝉」がよく使われています。
「空蝉」は紫式部の「源氏物語」にも出てきて、蝉の抜け殻も「空蝉」というと風流な感じ。
真夏のパート先のまぁまぁ広い敷地の掃除をしていると転がっている蝉の抜け殻。
以前はちょっと気持ち悪く感じていたそれも最近ではそう思わず、「また空蝉が転がってるなぁ…」などと思いながら箒と塵取りで取るようになりました。
抜けだした蝉のほうは、毎回同じ場所にいるようで、そこを掃除する度に私に驚き「ジジジジ」と叫び(鳴き)ます。
その叫び声にこっちも驚いて「ひぃ~ッ」と飛び跳ねてしまうという繰り返し。
焼けつく外は本当に静か。
普通に鳴いている蝉の声はその静寂と一体化しているけど、こちらの存在に驚いて鳴く蝉の声は違う音。
あと何年この場所で蝉と一緒に猛暑を過ごすのか?
来年の夏は予想もしていない夏になっているかもしれません。
「少年の空蝉残る秘密基地」、とても素敵ですよね。私は他にも「祭果て開くや風の通り道」が強く印象に残っていて、梅沢さんの句ではこのふたつが特に好きです。
返信削除そうですね。梅沢さんの「祭果て開くや風の通り道」も素敵でした!
削除夏の「祭」の季語が悪疫退散の意味があると解説で聞いて知りました。
プレバトの俳句は、今まで見ていたものの見方が変わって楽しいです。